神代文字-かみよもじ
日本には神代文字-かみよもじといって支那から漢字を輸入する遥か昔、日本神話で言い伝えられている神様の時代から使われていたと言われている日本古来の文字が 30種類以上存在しています。
象形文字のような物の形をかたどった文字やヘビが這ったような文字が、神社の石碑や山中にある磐座-いわくらなどに刻まれていたり神事などに使われていたこと、また一部の神社で符・札・お守りなどに使用されていることが古くから人々の間で知られていました。
「日本書紀」( 720 年)ではこれらの文字を古字として触れましたが、神道家の卜部兼方が書いた「釈日本紀」-日本書紀の注釈書(1301年以前成立)で神代の時代の文字の可能性としてはじめて取り上げ、その後 鎌倉時代の朝廷の学者によって研究されたほか江戸時代には多くの学者が盛んに研究しました。
片神名文字-カタカムナモジ、阿比留文字-アヒルモジ、阿比留草文字-アヒルクサモジ、種子文字-タネコモジ、出雲文字、対馬文字、阿波文字、筑紫文字、熱田文字、?備文字、藤原文字などなど、ここに上げた他にも神代文字があります。
古事記や日本書紀には原典がある
そのなかでも古事記や日本書紀の原典であると考えられている文献、『ホツマツタヱ』で使われていたヲシテ文字(ホツマ文字)が、知られた神代文字の一つです。
『ホツマツタヱ』は五七調の長歌体で記され全 40章で構成されており、アメツチの始まりから(天地開闢-てんちかいびゃく)、カミヨ(記紀でいう神代)、そして初代人皇のカンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)を経て人皇12代のヲシロワケ(景行天皇)までが記述された日本最古の歴史書とも言われています。
古事記や日本書紀とほぼ同じ構成で記述されていますが大きな違いは、私たちが生活している実在の場所で実際に行った出来事として書かれているということです。
下のヲシテ文字で書かれている文章は「アワのうた」といい、イザナギとイザナミが歌いました。
大きく世が乱れ混沌となり無秩序なありさまになっていた時に、イザナギとイザナミが婚姻を結び 7代目の皇位を継承しました。二神がまず最初に取り組んだのが生産力の落ちた農業を甦生させること、と同時に民の教育も行うために各地を巡業しました。その際に、葛掻きーカダガキと呼ばれる三絃琴を奏しながらアワのうたを歌って聞かせることで民の音声の標準化を進めました。
672年、天智天皇の死後、跡を継ぐことになった大友皇子(天智天皇の皇子)に、叔父の大海人皇子(天智天皇の弟)が反旗を翻し、大友皇子を倒して天武天皇となった。この内覧を「壬申の乱」という。天武天皇は都を近江から再び飛鳥に移し、日本初の公式歴史書である「古事記」と「日本書紀」の編纂を命じる。蘇我氏は「天皇記」など数多くの歴史書を保管していたが、「乙巳の変」(大化の改新)で、それらの多くが書庫とともに焼失した。そこで抜群の記憶力を持っていた役人の稗田阿礼が「古事記」を編纂したとされる(稗田阿礼は古い歴史書の「帝紀」「旧辞」などを記憶していたという)「日本書紀」もおそらく様々な資料の断片や人々の記憶、あるいは伝承神話などを元にして編まれたものと思われる。
日本国紀(幻冬舎)-百田尚樹
私たちは、「記紀」以前に書かれた歴史書は焼失や散逸してしまい、類まれな記憶力の持ち主がその記憶を頼りに編纂した我が国最古の公式歴史書は「記紀」だと教えられています。また、ホツマツタヱも神代文字も創作されたものだという批判は江戸時代からすでにあり、現在に至っても否定的な立場の研究者がいることも事実です。
ついに現れた幻の奉納文
上の画像は伊勢神宮が運営する図書館の神宮文庫で発見された奉納文です。
神宮文庫沿革史によると神書記録収蔵の歴史はとても古く、称徳天皇( 766年)の御代には内宮に文庫があり、また外宮にも亀山天皇( 1262年)の御代に神庫名が確認できます。その後、江戸時代に入り幾度か文庫が献納され、増加し続ける文庫や文殿の蔵書などを 1ヶ所にまとめるため明治 40年( 1907年)に神宮文庫を設立しました。
神代文字で書かれた奉納文を発見した当時の蔵書数は約 25万点。
古代より伊勢神宮に秘蔵され、または司家に代々受け継がれてきた伊勢神宮や御鎮座祭儀、遷宮、神道、史学など幾多の古記録など広範にわたる蔵書の山の中から、たった 99葉しかない、そしてそれが神代文字で書かれた奉納文を発見した時は無上の喜びだったであろう。しかもそれが歴史的著名人の奉納文となれば、なおさらの事だったはず。
以下に、奉納文を発見した研究者の言葉を引用します。神代文字は捏造と言われ、それでも研究を続けていた者の心の底から発せられたと言葉だと感じさせる文章です。
伊勢神宮の神宮文庫で九十九葉に及ぶ大量の染筆を発見した時は、まさに「天にも昇る思い」であった。神宮文庫に秘蔵された古代文字九十九葉の染筆者は約五十九 名。そのほとんどは歴史上名高い人物で占められている。
例えば、藤原鎌足、太安万侶、稗田阿礼、舎人親王、和気清麻呂、菅原道真、平将門、平忠盛、源頼朝、源義経、木曾義仲、宗良親王、後醍醐天皇など、皇族や天皇まで含めた史上著名人が、いずれも古代文字で染筆しているのである。
古来より日本国民の尊崇のまととなってきた伊勢神宮の森深く、日本古代文字の存在を証明する多数の染筆が秘蔵されていたことは、まさに驚愕に値する事実と言わねばならない。
それは日本をして「漢字渡来以前には文字のない野蛮国にすぎなかった」と思わせたがる多くのエセ学者たちに対する痛烈な反証であり、日本の優れた古代文字を探求する上での重要な糸口ともなるからである。
伊勢神宮の古代文字―ついに現われた幻の奉納文(1977年)より引用
源 義経
「うねひやま ひるはくもとゐゆうみれは かせふかむとそ このはさやける」
(畝傍山 昼は雲と居夕みれば 風吹かんとぞ 木葉さやける)
平家を打ち滅ぼし、奪われた鏡璽を取り戻した最大の功労者。
畝桧山は神武天皇の皇居があったとされる山であり、その山を詠むほど天皇に対しての忠誠心が厚かったのだろうと思わせる。
源 頼朝
「ひつきみこと」
(日継尊)
史上はじめて武家政治を行った将軍であり朝廷に代わり政治の大権を握っていた頼朝だが、
奉納文からは「全ての権力は掌握しているけど、帝への忠誠心は失っていません」と感じさせる。
大朝臣安万呂と稗田阿礼は共に古事記を編纂をしたと言われている人物であり、大朝臣安万呂については後年になって日本書紀の編纂にも加わったとされています。
さて、この二人が奉納文を献上した日付を見ると、どちらも和銅元とあります。
和銅元年( 708年)つまり古事記を元明天皇に献上する 4年前に伊勢神宮を参拝し奉納文を奉納していた。しかもこの時にはすでに漢字が輸入されていて一般庶民にも広く知れ渡っていた時代であるにもかかわらず二人とも神代文字を用いています。
大朝臣安万呂はヤマトタケルが発した言葉をアヒル草文字で書いている。
大朝臣安万呂(太安万侶)
「またあかあし みへのまかりなして いたくつかれたり とのりたまひきかれそこを みへといふ」
(また吾が足 三重の勾がりなして いたく疲れたり とのりたまひき かれそこを 三重といふ)
和銅元年十月記 大朝臣安万呂
稗田阿礼もまたヤマトタケルに関する奉納文をしたためている。
右はヤマトタケルの死後、訃報を聞いて駆けつけた妃たちや皇子たちが詠んだ歌がアヒル文字。
左には天明天皇の諱ーいみな(実名)をアヒル草文字で書いている。
稗田阿礼
右:「なつきのたのいなからに いなからにはひもとろふとろろつら あさしぬはらこしなつむそらはゆかすあしよゆくな」
(なづきの田の稲稈に 稲稈に這いもとろふ葛 浅篠原腰泥む 空は行かず 足よ行くな)
左:「やまとほこあまつみしろとよくになるひめみこと」
(大和穂子天津御代豊国成毘売天皇)
(戌申)和銅元刀稗田阿礼花押
未だに秘匿されている神代文字がある
近年「龍体文字-りゅうたいもじ」 について書かれた本や特集された雑誌、ブログを目にするようになりました。龍体文字はウマシアシガイヒコチカミという神様が創ったと言われている文字です。
龍体文字を体に書くと、体調が良くなった!臨時収入が入った!など運気が上がる文字だと雑誌やブログなどで紹介されています。
ウマシアシガイヒコチカミは「衣食住」をもたらす神であり、物質世界(この世)での生活を守る神です。また「ひこち」には「引き寄せ、もたらし」などの意もあるため、龍体文字にはそのような力が宿っているのかもしれません。
伊勢神宮に神代文字が秘蔵されていたことは「ついに現れた幻の奉納文」の段落で述べたとおりですが、すでに私たちが知っている神代文字以外の文字も同時に発見されていたのです。その中の一つが龍体文字です。あまり知られてはいませんが、龍体文字と一緒にヨモツモモノキモジも発見されています。この神代文字はアマサカリヒニムカイツヒメミヒカルアマツアメノスメラミコトが創りました。
さて、奉納文は本当に神宮文庫で発見されたのでしょうか。発見された奉納文は虫に喰われていて、さらに書かれている文字もかなり薄くなっていて、そのまま写真を撮って本に掲載できる状態ではなかったようです。
神宮文庫は図書の永久保管に注力している施設で本や巻物の状態が悪くなるような取り扱いをするとは思えません。
では、一体どこから発見されたのでしょうか…
伊勢神宮には私たちが知らない宝物庫があるといいます。もしかしたら秘密の宝物庫なんてものは実際にはなくて、私たちのそうであってほしいという願望からきている空想なのかもしれません。
空想することが許されるのなら、いにしえの時代からの未だ誰の目にも触れたことのない何かがまだ存在するのかもしれません。
神代の時代のスメラミコトは、それぞれが独自の文字を使っていたと言われています。中でも、ヨモツモモノキモジには強大なエネルギーが宿ってる最高位の文字といわれ、正しく用いればすべてを調和に導き、邪念を持って接すれば禍事が起こると言われるほど強力な神代文字のため公開されていないと推測します。